あの日から10年が経ちました <医療事故被害者の気持ち>

あの日

あの日(2006年11月27日)から、今日で10年経ちました。「あの日」とは、側湾症の手術による医療事故で下半身麻痺の車椅子生活になってしまった、あの日のことです。
正直なところ、10年経った今でも、病院側に不信感があるのは事実です。

今日は、ネット上でも中々見かけない、医療事故で重度障害が残ってしまった、患者の気持ちや心境について、このブログに書いてみることにします。

車椅子生活になった原因

経緯については、過去にもこのブログでお話ししてるので、簡潔に書きますが(全然簡潔にならなかった)、元々生まれつきの難病の神経線維腫症を持っており、それによる側湾症悪化のため、手術となりました。
当時は、高校2年生。側湾症悪化に伴う腰痛や体力低下のため、手術を行う1ヶ月半ぐらい前(2006年10月上旬)から休学していて、その後各種検査などを済ませて、2006年11月下旬に
手術を迎えました。当初は、1ヶ月程度の入院を予定。何とか、3学期の始業式には間に合わせて、留年を回避するはずでした。

しかし、いざ手術を終えて目が覚めると、医者の第一声が「足動かせるか?」ですからね。そして、動かないと。こりゃ、よくドラマやニュースで見ることが、自分の身に起きてしまったんだと思いました。
しかも、最初は「足の動きが悪くなってる」と誤魔化していましたから・・。手術から目が覚めた時点で、1ミリも動かないのに・・。末期がん患者に、告知しないような感じですかね。(ドラマの見過ぎ・・)

で、結局麻痺の症状は、一切改善せず。運動神経の下肢(完全)麻痺。暖かい冷たい・痛みが分からない(温痛覚障害)、排泄関連の障害が残ってしまったのです。触覚のみ、症状が残っており、脊髄の血管が梗塞されたことをが予想されますが、医者側の説明も「脊髄の血管が梗塞されたかも」と、確定診断には至らず、なぜ梗塞されたのかとか、麻痺の原因は不明な扱いに。
本当に原因が特定できなかったのか、もしくはミスや事故を隠してしまったのか、こればかりは、患者側には分かりません。

病院側からの補償などは一切無し

受傷原因が自損事故など本人に責任があるなら、こんな文句を書きませんが、自分の場合は医療事故に近い状況で。
事故は事故でも、労災やら交通事故とかなら相手からの保険金とかで、生活もなんとかなりそうですが、自分の場合は病院側からは補償の類は一切ありませんでしたので、何だかんだ言って、いろいろ苦労した場面はあります。
入院期間は1ヶ月が、1年4ヶ月ほどに延び、苦労して入試を突破して入学した高校にも戻れずに、2年も留年になり(車椅子では通っていた学校への通学手段が確保出来ないことから)、就職率100%と言う工業高校から、底辺の通信制高校に転学。なんとか、高校は卒業させましたが・・

一時ニュースでも話題になった群馬などの某大学で、連続死亡事故なんかもありましたが、自分の気持ちで言わせてもらうと、患者が死亡してしまえば、遺族は一定期間苦しむかもしれませんが、患者本人はあの世に行ってしまうので苦しむことも無い。
しかし、自分のような重度障害が残った場合は、本人はもちろん、場合によっては周りの家族なども介護などで一生苦しむことに。(※あくまでも、個人的な感情です)

医療事故で死亡より、重度障害の方がよっぽど大変だと思います。

大きな手術は100%安全では無いとは分かっています。しかし、いざ偶然な(医師に責任が無い)医療事故だとしても車椅子生活になってしまった患者に対して、病院側のケアや対応が前記や後述するような病院だと、やはり納得は行かず。
以前もこのブログで書きましたが、側湾症の手術で下肢麻痺になり麻痺の改善も見られない事例は、0.03%程度とのことで不信感が出るのは当然です。[参照:自分の病気のことは自分で調べよう。[図書館編]]
(まあ、だから10年経ってもネチネチこのブログに愚痴記事にしてしまうのですが。)

苦手な医師もいました

そして、話は変わり、自分が手術を受けた病院で苦手というか嫌いな医師が一人いました。ここでは、A医師とでもしましょうか。
A医師は、リハビリテーション科の医師で、車椅子生活になってから、関東に転居するまでお世話になっていたのですが、このA医師が、自分にとっては少々くせ者でした。

入院中から、あれこれ嫌味を言われていましたが(実は当時、このブログにもちっらと愚痴を書いてる医師のことがA医師である。2008年2月頃の記事など)、そして、退院後に定期通院に行くたびに言われていたことがあります。

Aリハビリ医師 「○○君調子どう?、いつ就職するの?」
それが口癖でした。

確かに、いくら重度身体障害者の車椅子生活でも、就職しないでぐうたらしているのは悪いとは分かっていますが、あんたが勤務する病院が原因で車椅子生活になっているんだから、そんなに言うなら、あんたの病院が就職の面倒見れば良いじゃん。と、内心はずっと思っていました。
あんたの病院の手術が成功していれば、普通に就職していたよと思ったり。(医療事故の被害者の気持ちなんて、関係者には分からないんだろうな。ちなみに、手術自体の担当医は就職のことについては、特別突っ込まれることは無かった)

そして、転居によりそのA医師とは会うことも無くなり、転居直前に(Aリハビリ医師には)頼んだ覚えも無い紹介状をもらったのですが、こっちではリハビリ科を受診する機会も無く、結局その紹介状は使いませんでした。

何年か前にその紹介状が発掘されて、少し抵抗はありましたが、何となくその紹介状を開封して読んでしまったら、衝撃的なことが書いてあったのです。
受傷原因は、確定診断には至っていない、と書かれていて(まあ、ここまではまだ良いですが、いや本当は良くないけど)、「就職の意思が見られない」みたいな、患者の悪口が書かれていたんです。
そりゃ、意思がないのは確かかもしれませんが、その原因を作ったのはA医師の病院じゃんと思ったのです。ひでーなと思いましたよ。患者側の気持ち一切考えていない。もちろん、リハビリテーション科のA医師が手術に関わったわけではありませんが・・・

そして、関東に転居して、泌尿器科なども含めていくつかの病院に受診しましたが、そこで会う医者や看護師の第一声は、皆「手術で、車椅子になったの?、え、それまで普通に歩いていたの?」
自分「はい」みたいなことを言うと、皆驚いた感じで「それは、大変だったね」みたいなことを言ってくれるんです。中には「ひどいねー」なんて言ってくれる人も。

こんなこと、手術を受けた病院はもちろん、その県内のリハビリ病院などに入院中でも言われたことありませんでした。おそらく、どの病院もその病院との深い関係性があるでしょうから、うかつなことも言えないのでしょう。

一方で、こっち(関東)は、自分の手術を受けた地方病院との繋がりや関係者もいないでしょうから、自然と「それは、大変だったね」と言ってくれるんでしょう。同情してくれる、医療関係者も居るんだと思いました。
ちなみに、こっちの病院で「仕事は?」と時々聞かれますが、「働いていない」。と言っても、「そうなんだ~」みたいな反応で特に突っ込まれません。

自分が手術を受けた病院で、同情みたいなそういう気持ちを持った人は居たのかな? そもそも、病院側で医療事故として処理されてるのかな?、単なる合併症として処理されていたりして・・。

私から言えることは(この件は何度か言っていますが)、私みたいにうやむやにならないように、原因究明・特定のためにも、「医療事故調査委制度」を死亡事例以外の重度後遺障害などにも対象にすること、さらに「無過失補償制度」を産科以外にも対象にすること。この二つでしょうか。今後の患者救済のためにも、厚生労働省さんお願いします。

終わりに

そして、もしも2030年~40年頃になって、再生医療が実用化されて治療できる未来になったことを仮定して考えましょう。

もしも、再生医療によって100%元通りに、神経が回復したとしても、既に年齢は中年の40代に。失われた、数十年は戻ってきません。経験も薄い中年から、まともな職にはつけるのでしょうか、正直自身はありません。
そして、杖が必要とか完全には回復しなかったら・・、と考えると、健常者になりきれないのに等級が下がって年金は打ち切られたりしたら、それも大変そう。
そう考えたら、このまま車椅子生活で手厚い社会保障を受ける方が良い?と少し思ってしまうこともあります。
まぁ、もちろん100%元の体に戻るようなら、再生医療は受けるでしょうけど。

まぁ、こんなところが、医療事故で手帳1級の重度身体障害者になってしまった、患者の素直な気持ちです。長文の記事、読んで下さりありがとうございます。てか、後半はA医師の愚痴ばかりになってしまった(笑)

20161127-2

※写真は、術後の院内感染も落ち着いた、手術から2ヶ月ほど経った2007年1月下旬に、初めて病室から院内のリハビリ室に行ったときに、療法士さんが撮ってくれたもの。この写真の場面から、身体障害者としての第二の人生が始まった場面でもある。

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